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直江兼続相関図|上杉謙信

 謙信は長尾為景(ためかげ)の第二子として亨禄3年(1530)1月21日越後春日山城(新潟県上越市)に生まれました。長尾氏は越後守護職上杉氏を補佐する守護代の役をもつ家柄でした。

 謙信は幼名を虎千代(とらちよ)といい、元服して長尾景虎(かげとら)と改め、弱冠十五歳という若さで早くもカリスマ性、天性ともいえる軍才を発揮しはじめ、たちまち名声を集めます。

  後世、越後の虎とも越後の龍とも呼ばれ、他大名との鉄砲、弓、馬などの軍事編成の比はさほど差異はなく、戦術的にも大きな違いは無いのですが、上杉軍は敵と敵のぶつかりあい、直接戦闘では圧倒的な強さを誇っていたといわれています。また、毘沙門天の熱心な信者で、自ら毘沙門天の転生であると信じていたとされており、自らの旗印にも「毘」の文字を使っています。

  永禄4年(1561)32才の時に、関東管領上杉憲政(のりまさ)の譲りを受けて上杉氏を相続し、上杉政虎と改名しました。また、足利将軍義輝(よしてる)の一字を賜わり輝虎(てるとら)と改め、元亀元年(1570)41才の時に謙信と称しました。

  謙信は文武両道に秀で、生涯において「義」を尊重した戦国時代の名将で、正ありましたが、天下を前にして、惜しくも、天正6年(1578)3月13日、49才で亡くなりました。生前に前もって後継者を決定しなかったことは、謙信の死後、御館の乱勃発の引き金となりました。現在は米沢市上杉家廟所に眠っています。

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